良いコードはいらないと言われて

15年ほど前に良いコードはいらないと言われてがっかりした。
厳密に言うと、最初に言われたのは19年前かな。
MS-DOSの640KBの壁がなくなり、メモリを無尽蔵に使える時代が来た!という時代。無尽蔵といっても当時は2MBとか4MBくらいが普通のスペックだったと思う。


プログラムを組むときには、1つのメモリ領域を何通りにも使いまわして少ないメモリをどう生かすかがポイントだと思っていた私が言われたのは「そんな古臭いテクニックが評価される時代は終わったんだよ。メモリが足りないときはプログラムで何とかするんじゃなくて物理的にメモリを追加すればいいんだ。速度が足りないときはCPUを換えればいい。それでも足りないときは時代がなんとかしてくれる。(つまりムーアの法則のこと)良いプログラムを組んで満足する趣味プロ意識は捨てろ。これからの時代は良いプログラムなんて評価されない。良いものを作ろうとするな。期待通りに動けばいいんだ。」という夢も希望もない言葉。

これからプログラマとして頑張ろうとしている人に言うセリフがこれかよ、と当時は疑問に思った。


けど実際に仕事で納品に関わると、「私が在任中に不具合が起きなければ構わない。処理が間違っていても在任中にバレなければ構わない」という超現実的なことを顧客のエラい人に言われるようになり、ひどい職種を選んでしまったな、と感じたのを覚えている。


ぐちゃぐちゃのパッチを当てたような汚いソースが大量に残っていることから考えると、「理屈は分からないがこう書けば何故か動く」という意識はそれよりはるか昔からあったのだろう。


当時の良いコードと今の良いコードは意味が違うんだろうけど、根気と粘り強さで戦う技術立国ニッポンという考えでは似ているような気がする。